子どもをめぐる環境

私の信条

今回は、子どものことについて書きたいと思います。先日、「児童養護施設」の施設長から話を聴く機会があったからです。

「児童養護施設」、かなり昔は「孤児院」と表現されていました。「タイガーマスク」に出てくる「ちびっこハウス」を思い出されるかもしれません。しかし、実際は国の福祉予算でまかなわれているれっきとした福祉施設です。何らかの事情により保護者のいない児童を入居させてその子たちの安定した生活を確保するのが目的です。

そこで講師の施設長からおもしろい指摘がありました。「最近は、『手がつけられないヤンチャな子ども』がいない。反社会的な子どもの非行ではなく、不登校やリストカットなどの非社会的行為ばかり」とのことです。

「ヤンチャな子ども、不良少年たちは、生活力があって、支援がなくても自分の力でなんとかしていた」、「病的な感じの子どもが増えているのかもしれない」と話していました。

果たしてそうでしょうか。確かに40年くらい前は少年非行や校内暴力が問題になっていましたが、いまはあまり聞かないですね。

私の推測ですが、現在の日本社会がヤンチャな気質を持っている子どもには順応しやすい環境になっていると思われます。

70年代、80年代の管理教育は、ほんとうにひどいものでした。受験戦争という学力偏重主義のもと、極度に自由度の低い学校環境でした。子どもがストレスを鬱積させて非行に走るのも当然です。

現在の教育事情がすべてにおいてよくなっているとはいえません。ただ、いわゆるヤンチャな子どもがその積極性を認めてもらえ、自身の可能性を拡げることができる教育にシフトしているのではないかと思います。

しかし、問題は「非社会的行為」の子どもたちです。病的な子どもが増えていると私はまったく思いません。そうではなく、そういった子どもの存在が可視化、顕在化されたのだと考えます。

70年代にも不登校は、ありました(当時は、「登校拒否」)。若い怒りを爆発させる非行少年たちの裏で何十万人ものひきこもりの子どもがいたのです。しかし、顕在化されることなく、家族が抱え込んでいました。それが現在の8050問題になっています。

かつても非社会的行為をする子どもは大勢いました。けれども行政は「家庭でなんとかしろ」と支援対象にすらしていなかったのです。現在は、病的な子どもが増加しているのではなく、そういった子どもが確実に公的支援に結びついているのでしょう。

子どもはいまも昔も変わっていないのです。社会状況の変化に伴って、かつて無視されてきたことが、現在は課題として現れているだけです。「最近の子どもは・・・だ」というのは正しい認識ではありません。子どもが変わっているのではなく、社会環境が変化し、課題の切り口も変化していて、その変化を大人が子どもに投影しているのです。ただ、ひとつ強調しておきたいのは、非社会的行為をする子どもたちに関しては、彼らの存在自体を無視していたわれわれ大人に大きな責任があるということです。