今回は、孤独死・無縁死のことを書きます。というのも、さる3月27日に私がコーディネーターを務めたシンポジウムで「北砂兄弟餓死事件」をテーマに議論したからです。一般区民向けに催したこの会には、60人近い参加者があり、テーマへの深い関心が伺えました。
シンポジウムから1か月以上経過し、その間、いろいろな方からご意見をいただきました。それをふまえて、現在、私自身が孤独死について考えていることを記します。
〔北砂兄弟餓死事件とは〕
まずシンポジウム開催の発端となった事件について説明します。
2019年のクリスマスイブ、江東区内の団地の1室で、72歳と66歳の兄弟が遺体で見つかりました。異臭がすることから通報され、駆けつけた警察官が発見。死後4日から10日がたっていました。事件性はないとされ、報じられることもなかった2人の死ですが、NHKが取材を進めると、壮絶な困窮状態にあったことが浮かび上がってきました。無年金の状態だった兄弟。部屋にはわずかな小銭しか残っておらず、電気とガスは2か月以上前から止められていたとみられています。電気が通っていない冷蔵庫に入っていたのは、里芋だけ。2人はいずれもやせ細り、体重は20キロ台と30キロ台でした。兄弟は周囲との付き合いはほとんどなく、近所の人も2人が亡くなったことを知りませんでした。
〔問題の所在はどこにあるか〕
孤独死を防ぐ制度設計は重要です。江東区にはさまざまな施策がそろっています。また貧困問題、公的扶助(生活保護)が行き届かなかったという視点もあります。
しかしながら、なにより2人が餓死するまでの状況とは一体どういったものだったのでしょう。
今後、具体的な支援策を講じていくためには、彼らがどのような生活を送っていたか想像力を働かせて、状況の推定を何パターンも考え出さなければならなかったのではないでしょうか。そしてそれに対して思考実験を幾重にも積み重ね、検証する必要があったのではないかといまになって思っています。
〔兄弟のおかれていた状況を想像してみる〕
兄弟がどのような状況であったか。思いつくままに以下で示します。
①兄弟が2人とも助けを求めてはいけないという考えを妄信していた
②兄弟のどちらかが一方を支配していて、支配側が助けを求める行為を妨げた
③兄弟が2人とも精神障害を患っていた
④兄弟が2人とも知的障害者であった
⑤兄弟の一方に知的障害があり、もう一方に精神障害があった
〔状況の推定を検証して、対応策を練る〕
ざっと考えただけでも以上のような想像ができます。上記にほかにもさまざまな推定状況があるでしょう。そして、その推定状況は、十分に検証される必要があります。たとえば、上記①であれば、「助けを求めてはいけないという考えの妄信」はどういったものか。福祉というより社会学的、教育学的な問題が見えてくるかもしれません。あるいは、③であれば、2人とも何らかの精神障害を発症しており、妄想の世界の住人だったのかもしれません。そうなると「介入する機関は保健所か?」なども検討もできます。
この事件に関しては、兄弟のありうべき状況を限りなく推定して、一つひとつに応えていく作業がソーシャルワーカーとして必要だと考えています。