この前、保健所で障害者の「親亡き後問題」を解説していたら、翌日、当事者の親御さんから「親亡き後問題など存在しない!福祉職員の怠慢だ」という意見がきていました。
果たしてそうなのでしょうか。「福祉職員」がサボっているから障害者の親御さんに負担がかかるのでしょうか? はたまた福祉職員がもっと熱心に働けば親御さんがいなくても平気なのでしょうか?!
私の考えでは「親亡き後問題」は行政の福祉サービスが不足しているために生じる問題です。障害を持った人が、子どもの頃は親御さんに面倒をみてもらっていても成人すれば自立できる仕組みが日本にあれば、問題は起こらないのです。
上記のトピックと関連して、今回、『福祉サービスとはどんなものか』を論じます。私は、福祉サービスの生活支援を完全なものではないと考えます。そもそも「完全な生活支援」というものはあるのでしょうか。福祉サービスはその性質上、宿命的に様々な制約を受けると思います。
福祉サービスは制度である以上、平等に給付されねばならないものです。誰か一人を贔屓できなのです。しかし、個別的な事情を考慮することが同時に求められます。これがいわゆる「社会保障のジレンマ」というもので一般性・平等性を保ちながら、個別性を尊重するという二重拘束の状態です。個別性に配慮するため制度はとても複雑になります。しかも平等性を図るために融通の利かないサービスが生まれることがあるのです。
たとえば、サービス利用時の所得制限。所得があるとサービス利用時に負担がある。しかし、所得はないが、多額の資産を持つ人はどうするのか。親戚から多額の援助してもらっている人はどうするのか。
もう一つ例を挙げるとすると、ヘルパーが通院介助できない件。それを解禁にしてくれといっても、Aさんは診療所の通院で30分あれば済む。一方、Bさんは大病院で2時間待ち。この場合、どのようなサービス設計にすればいいのでしょうか。
個別の事情を考慮した市民一般に平等なサービスを作り上げることは難しい。けれど、考え続けるに値する仕事です。制度をつくるのは国と行政機関ですので現場の福祉職員の助言の下、いい制度設計を目指していかなくてはなりません。
ところで、福祉サービスの目的は利用者の欲望の充足させることではありません。生活を支援することが目的であって、できない部分を支援することです。人はラクなほうに流れがちです。できない部分を手伝ってもらっているとできる部分もやってもらいたくなるものです。「身体機能の維持」の目標がありながらなんでもヘルパーにやってもらいことを求める人もいます。
福祉サービスは当然、社会通念や公共の福祉によって制約されます。サービスの目的外使用は許されません。福祉職ハラスメントのような社会通念・倫理の逸脱行為も同様です。
福祉サービスは、送り手がいい制度設計をすること、受け手が制度を適切に理解して利用すること、この双方向の働きが噛み合ってはじめてうまく機能します。いい仕組みを実現するために、私はその運用者として意見・批判をどんどんしていきたいと思っています。