ヤングケアラー問題とこどもの権利

私の信条

いま話題のヤングケアラーの問題、みなさんも新聞報道等でよくご存じと思います。

知らない方のために念のため説明しますとヤングケアラーとは「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこども」(こども家庭庁)です。病気や障がいのある親やきょうだいの面倒をみていて、学業がおろそかになったり、こどもらしい生活ができないこどものことです。

2023年度、江東区はヤングケアラー元年。「ヤングケアラー支援担当係長」という専門ポストが創設されたのです。一般区民向け、福祉専門職向けの学習会が頻繁に催されました。かく言う私も昨年夏に当事者や研究者を招いてシンポジウムを開催しました。

そして、この3月、2日連続でヤングケアラー支援の研修に参加しました。講師は、元ヤングケアラーの当事者や当事者団体の代表。その研修で非常に複雑な思いを抱きました。というのも、ヤングケアラー問題が「こどもの権利」や「教育の機会均等」の課題として論じられていなかったからです。

研修内容は、ヤングケアラーに寄り添うことに焦点を合わせたものでした。それはそれで大切なことです。そして、「当事者はヤングケアラーと呼ばれ、『かわいそう』と思われることを望んでいないことがある。そっと見守ることも重要」や「ヤングケアラーの経験も今後の人生に活かせる。つらいことが人生の糧になる」などと語られていました。しかし、果たしてそうなのでしょうか。

「児童の権利に関する条約」に規定されるこどもの権利には、「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」などがあります。ヤングケアラー状態の時点で、こどもらしく育ち、守られ、社会活動に参加する権利が侵害されています。勉強時間を介護に充てているとしたら、教育の機会からも排除されていることになります。

ヤングケアラー問題が明らかになり、家庭的な不利をもつこども、家族基盤がぜい弱なこどもが学校で不利を負いやすい構造になっていることが証明されたと信じていました。しかしながら、研修の中で、権利侵害を社会構造からなくしていく積極的な支援策よりも「こどもに寄り添う」、「人生経験として大切」のみが語られることに大きな違和感を覚えました。社会的な問題がこどもへの個別的な対応にすり替えられた印象です。

ヤングケアラー問題と児童虐待におけるネグレクトに親和性を感じています。大人による積極的な介入と発見時の早期の通告が必要と考えています。権利侵害の状況をなくすように福祉施策を創設する必要があります。

とくに、こどもの支援と同時に家族(親)の支援も必要です。高齢者と障がい者の虐待防止法では、養護者(虐待者をしている人)の支援も正式なメニューです。ヤングケアラー支援に関しても家族支援・保護者支援に係る根拠規定があるといい。

いずれにしても、ヤングケアラーであるこどもに対する具体的な支援が前に進んでいるようには見えません。組織のタテ割りとして、学校を教育委員会が、福祉的対応を児童福祉の部署が担当するというあり方も課題です。せっかくヤングケアラーの概念が広まったとしても、具体的な支援につながらないのであれば放置しているのと同じです。