障害特性に着目した支援を

医療・福祉

新年あけましておめでとうございます。2022年もよろしくお願いいたします(もう1月10日だし、ちょっと遅いか?!)。

今回は、「障害の特性」に着目して利用者を支援することについて考えてみます。

まず、以下のような主張みてください。

・「認知症でも精神障害でも思いを伝え続ければ通じる」

・「利用者もわれわれと同じ一人の人間。同じようにコミュニケーションをとっていれば、周辺行動(あるいは行動障害)はおさまる」

こういったポジティブな考えの半分は正しいのですが、現代の福祉支援にはそぐわないものです。「同じ人間。話せばわかる」という意識が強すぎて、多様性やちがいを認めようという視点が欠落しているのです。

認知症の症状をたとえて「自分に理解できない言語を話す人々のいる知らない国にいきなり連れてこられた状態」と表現されることがあります。同じ人間だからといって、ぜんぜんわからない言葉を投げかけられても認知症の人は戸惑うばかりです。それを毎日、続けられたならば、周辺行動が悪化して当然でしょう。

つまり、障害特性を無視して、最善のコミュニケーションを模索しない姿勢は、同質性の強要とでもいいましょうか、ある意味、暴力的です。

福祉専門職が利用者に接するときは、彼らの障害特性に応じたコミュニケーションを工夫しなければなりません。たとえば、音声でのコミュニケーションが苦手な知的障害の人に対してであれば、口頭だけでなく、図やイラストを用いて説明するなどです。

福祉専門職は、どういったコミュニケーションが利用者にとって効果的かを考えることに心を砕かなければなりません。利用者の障害特性に目を向け、研究する必要があります。ただ、それには日々、実験的な取り組みが必要なので業務に追われる職員にとってなかなかたいへんなことかもしれません。

これとは逆に支援自体をあきらめてしまう人もいます。つまり、「認知症(あるいは障害)だから、いくら言ってもムダ。そういう病気だと思ってつき合うしかない」、「治療やリハビリ以前に発達障害だと思う。先天的なものだからどうしようもない」といった具合です。

これもおかしな考え方です。障害の存在を認識しているのであればそれに応じたコミュニケーションを探求していかなければなりません。

いずれにしても、これまでの福祉現場は、当事者(利用者)の真摯な理解という視点が欠けていたのだと思います。障害特性への不勉強を棚に上げて、「利用者に障害というレッテルを貼るのはやめるべきだ」と主張していたわけです。障害特性を学ぶことは、利用者を障害自体と同一視することではありません。適切な当事者の理解を学び続け、ベストなコミュニケーションを日々研究していくことが福祉職員の責務だと私は考えます。