あだ名、「ちゃん」付け、呼び捨て

私の信条

今回は、福祉サービスの利用者に係る呼称のことを論じます。どういうことかというと、利用者を「ちゃん」付け、「くん」付けで呼んだり、あだ名で呼んだりすること、あるいは、敬称なしの「呼び捨て」で呼ぶことをどう考えるかというお話です。

「利用者を『ちゃん』付けで呼ぶことは虐待ですか」とよく聞かれます。率直に言って、こういった類の議論はしたくありません。一般的に社会人・職業人として、対等な立場にある人を「呼び捨て」や「ちゃん」付けで呼ぶかということにつきます。

念のため確認しておきますが、虐待というのは、虐待防止法に該当するかということです。当該法律では、虐待かどうかの判断を役所内のコアメンバー会議で決定します。「ちゃん」付けが虐待かどうかはいろいろな場合があるので私がそれに該当するかどうか答えることはできません。

問題なのは、「ちゃん」付け、「あだ名」、「呼び捨て」などという問いが発せられるほどに福祉の現場が未熟だということです。

「あだ名」を使用するときも確かにあります。たとえば、高齢者で「俺のことは『トクさん』と呼んでくれ」という人もいるかもしれません。また特別支援学校を卒業した人は「さん」付けで教師から呼ばれ続けてきたので、それを嫌がる人もいます。

以上のような場合、彼らを「あだ名」等で呼ぶときは、以下の3点が守られなければならないと思います。

①本人がその呼称を希望している

②その希望が本当かどうか複数人で確認している

③その呼称を使用するときに周囲の人たちにも共通理解ができている

つまり、本人が「あだ名」で呼ばれることを望み、それが支援者の思い込みではないかどうか、ほかの職員でも確認し、ほかの利用者や現場を訪れた第三者にもそのことを理解してもらう。さらに本人が不在の場所で「あだ名」で呼ぶことは許されない。そのときは、あくまで利用者の一人として敬称を用いる。

敬称以外の呼称を使用するというのは、このような丁寧な過程を要するのです。気付いているかと思いますが、上記はソーシャルワーク支援の技法です。私は、利用者を「あだ名」で呼ぶというのには、ここまで高いハードルがあると思います。いずれにしても「さん付け」が正しい呼称です。

いままで述べてきたことは福祉の分野に限った話ではありません。他者に敬称をつけずに呼ぶ、乱暴な口調の人物というのは、少なくとも2020年代の日本文化の文脈で社会人として自らの品位を損ねている者と思われるでしょう。そればかりか、他人を尊重する視点が欠落しているように見える点で信用がない人物ととらえられます。言葉はつねに他人を指向しています。ぞんざいな言葉遣いには注意していかなければならないですね。