〔「その1」~「その2」までのお話〕
中高年ひきこもりの方々を支援するのは、「親」ではなく、「国・行政・社会」です。
8050問題で、中高年のひきこもりの子どもを抱える高齢者の親が、ひきこもり支援のプロを称する「引き出し屋」に多額の費用を支払い、親子ともども悲惨な結果になってしまうという内容を取り上げました。
中高年ひきこもりを公的に支える施策が必要であると同時にひきこもりの子どもを親が支え続けることの問題点も指摘しました。
〔親亡き後もひきこもり続ける?!〕
10年以上前からファイナンシャルプランナーが「ひきこもりのライフプラン」といって親の財産で、親亡き後もひきこもりの子どもが生きていけるような人生設計を提唱しています。
親の財産を処分して、子どもの生活費に充てるというプラン、みなさんどうお考えになりますか。私はこの意見には批判的です。親はきちんと子離れをしないといけないですし、親も自分の人生を歩むことが当然です。子どもに親の人生をささげるというのは、子どもに支配されていることかもしれません。あるいは、その逆で引きこもり生活の継続という選択を子どもに押し付け、親が子どもの人生を支配しているともいえます。
〔親に責任を負わせても意味ない〕
ひきこもりの方々を親ではなく社会が支えるべきです。親は自身の人生を歩むべきです。「子どものことを理解してあげなかった親の責任だ」とひきこもりの原因を親に求める風潮もあります。観てはいませんがNHKのドラマ「こもりびと」は親(武田鉄矢)の無理解が原因のような描かれ方だったと聞いています。確かに問題のある親もいます。とはいえ、子育てのプロなどどこにもいません。絶対的に正しい子育てなど存在しません。みな試行錯誤しながら子育てをしているのです。どうしたって子どもにとって親は旧来の価値観の持ち主です。
親が子どもに財産をささげ、理解を改めれば、ひきこもり問題はなくなるのでしょうか。それは根本的な解決ではありません。結果としてひきこもりの人を放置して、孤立を深刻化させる恐れもあります。いずれにせよ、親だけに責任を負わせても何の解決にもならないと私は思います。
〔家族をまもる〕
ひきこもりの人が暴力的になることもあるかもしれません。ひきこもり当事者は、暴力と考えていなくとも家族に対する暴力になってしまうこともあります。たとえば、年老いた家族の年金でひきこもり当事者が生活していたとして、親の生活が破綻してしまえば、これは親への虐待行為にあたるのです。
ひきこもり当事者には、精神科医の斎藤環さんが言うような「マイルドなおせっかい」を根気よく続けていくことが大切ですが。ひきこもり行為が周囲への侵害行為や親への虐待である可能性も考えられるのです。(その4最終回に続く)