さて、今回のトピックは生活保護です。4月下旬の朝日新聞で生活保護上の「扶養照会」に関する連載記事がありました。そちらを参照しながらお伝えします。
生活保護を申請した人の親族に、仕送りできないかを尋ねることを扶養照会といいます。生活保護法は、いくつかの原理原則があります。そのひとつ「補足性の原則」は、ありとあらゆる手持ち財産や能力を活用してから生活保護を申請・利用するべし、と謳われています。扶養照会もこれに則った制度で「すがれる人がいるならまずその人に協力を頼んでみて」というわけです。
しかし、これもおかしな話です。協力を頼める人がいるなら最初から頼んでいるわけです。生活保護の申請は、扶養照会が要件となっています。どうにもならなくなって役所を訪れている人に対して、連絡してほしくない人に自分の困窮状況を伝えなくてはいけないのです。結局、申請させないための手段となっているのです。
扶養照会して仕送りが得られる場合はわずか0.7%だそうです。そして扶養照会に係る事務というのもボリュームがあり、役所も負担で、迅速な制度利用を損なっているとのこと。
この連載記事では結論として、「扶養照会は、行わないことを原則にして、行う場合をむしろ例外とする」(桜井啓太・立命館大学准教授)と締めくくっています。私もそう思います。保護申請をタテに触れてほしくないことに触れるのは、個人の尊厳に対する侵害行為だと思います。本人の同意のない扶養照会は悪質な権利侵害です。扶養照会は「原則なし」がいちばんです。
これまた朝日新聞なのですが、『追いつめられる女性たち』という連載記事がありました。そのなかで72歳の女性が毎月2万円ほどの年金でヘルパーの仕事をしながら生活する姿が紹介されていました。その人は役所から生活保護の利用をすすめられましたが「餓死しても受けたくない」と言っていたそうです。なんてことでしょう。生活保護を受けるのは死ぬほど恥ずかしいことになっているのですよ。命はいちばん優先されるべきものです。そして、生活保護は私たちの権利です・・・。日本社会と世論が生活保護を受けることに恥や負い目を付与しているのです。
まずは保護申請のハードルを下げてほしい。そして、厚生行政が生活保護の原理原則から導き出されている様々な運用規則を見直してほしいのです。社会のなかでも生活保護バッシングを許さない毅然とした対応が必要です。生活保護の利用が当然の権利であるという社会的な合意がきちんとできていくようにしたいです。