親なき後の問題(後編)

子ども・教育

(前編からのつづき)

  1. そもそも論①

そもそも障がい者を支援する主体は誰なのでしょう。「親」?「配偶者」?「家族」?『社会』が支援する主体であると私は考えます。子どもを親が育てるのではなく、社会が育てるものだと思っています。障がい者を家族のみで支援している社会は、社会保障が不整備なのです。親が支援するものだという風潮も社会の歪みだと思います。「親なき後の問題」など本来は存在しないのです。あるのは、未熟な福祉政策です。行政の責任を親に押し付けているだけなのです。

  1. そもそも論②

そもそも「親なき後の問題」を障がい者の親が語るとき、その背後には成人してもわが子を一人前とみなさない視点がひそんでいます。親自身が偏見に満ちたまなざしで自分の子どもみて、「一生自立できない」と思い込んでいます。結局、親が子どもの自立を阻んでいるのです。そして、障がい者本人も親の庇護に甘んじてしまうのです。

福祉的支援を受けながら独力で生活することも自立だと私は思います。自立とは何か、きちんと考える姿勢が求められます。

-まとめ-

そもそも論①も②も密接に絡み合っています。社会保障の不備を棚に上げて、社会的に子どもの世話はすべて親の責任でするものだという立場が②を生み出しているといえます。「親なき後の問題」が日本社会に存在すること自体がおかしいと私は考えます。障がい者が地域で自立して暮らすことが当たり前の社会をつくって、社会全体の認識を変えたいです。福祉専門職としてソーシャル・アクションをしていかねばなりません。