困ったときは、相談できない!

私の信条

考えを改めなければなりません。「人は困っていたら相談できない」のです。いままで、さんざん利用者に伝えてきた「困ったらここに電話して」は、福祉的支援として不十分だということです。

なぜこんなことを述べるかというと、先月、東京都医学総合研究所社会健康医学研究センターの西田淳志氏の講義を受けたからです。西田氏は、医学博士であり、公衆衛生や精神医療の研究者でもあります。氏の講義内容は、地域福祉のそもそものあり方を問い直す先進的なものでした。その大意は以下です。

「人が困窮状態に陥ると相談できなくなる。困窮状態は相談できないということと同義。そのエビデンスもある。『困ったらここに相談してください』という福祉機関の広報は間違っている。困窮状態を作り出さないような予防的支援こそ積極的に展開されなければならない」

これはもっともな意見です。困難ケースの多くが「どうしてこんなになるまで放っておいたのですか!」という場合が多いのです。それに対して支援者は、対処療法をするだけです。むしろ対処療法こそが正しい支援だと考えられているフシもあります。

本人からの訴えがないから要請があるまで「様子をみましょう」とか「本人は困っていませんから、支援の求めがないので支援できません」という言葉も現場でよく聞かれます。ほんとうにそれでいいのでしょうか。支援を求めていないことや拒否しているという表面的な事情のみを判断材料に、本来、いちばん支援が必要な「声をあげられない人」、「相談できない人」に適切な支援をしないことは専門職として恥ずべき怠慢です。

困窮することと、相談(申請)できないことが同じ意味ならば、申請主義の現在の福祉制度は間違っていると思います。困窮者は、運がよければ手遅れになる直前に行政により措置されるか(やむをえず行政判断で施設入所させるなど)、最悪の場合、手遅れになってから発見されることになります。生命の危険を認識していながら、本人から申請がないからといって放置することは、福祉職員の不作為責任が問われるべきことだと考えます。

ではどうすればいいのか。西田氏は、「『事後的対応』から『予防的支援』へ」を提唱しています。予防に努めることは、①問題がこじれて悪化することを防止 ②対処療法のための細分化された専門家・サービス自体が必要なくなる ③事後対応にかかる膨大な社会的コストを削減できる、などさまざまな利点があるのです。問題が発生する前の「上流」でくいとめて、大きくならないうちに対応するということです。

とはいえ、事後的・対処療法的な支援がまったくなくなるわけではありません。そこで行政による措置機能(行政権限により義務を課すこと)を見直して、積極的な活用に舵を切ることが必要ではないかと考えます。しかし、行政措置は、人権侵害にもなりかねません。慎重な運用を要します。それをふまえて、高齢者のセルフネグレクト、中高年のひきこもりなどで危機的な状況が想定される場合に積極的な支援ができることが望まれます。もちろん、当事者の権利擁護に十分配慮して、ではあります。いずれにしても、福祉的支援の現在のあり方を大きく見直す段階にきていると感じています。今回のお話はけっこう大きなテーマです。また機会を改めて、細かく論じていきたいと考えています。