下記のものは、先日、ヨミドクター(読売新聞の医療介護情報サイト)で読んだ記事のおおまかな内容です。
「スウェーデンでは、認知症ケアにおいて、自己責任の考えがあるからよいケアが可能となる。命の危険があったとしても自己決定には自己責任が伴うので、本人の希望が尊重されるべき」。
要するに認知症を患った状態でも自分で決めたことなのだから「リスクは自分で負いなさいよ」という理屈です。ほんとうにそれでよいのでしょうか。そもそもスウェーデンの認知症ケアは、自己責任論が背景にあるのでしょうか。
認知症の人が命の危険が伴うような行動や決定をして、それを支援者が放置してしまったらネグレクトと同じです。
認知症支援に自己責任論を持ち込んでしまうのは、これまでのソーシャルワークの議論をフォローしていない証拠です。社会福祉士・精神保健福祉士の間では、判断能力が低下した人のケアに関して、「意思決定支援」や「権利擁護」という概念が普及しています。
意思決定支援は、障害者権利条約や成年後見制度の文脈でよく語られます。いま成年後見制度の見直しの議論が進行しています。今年の4月から成年後見に係る法制審議会が開かれています。その中で、家族のためではなく、認知症を患った当の本人に資する制度に向けて、意思決定支援の普及・推進が議論されています。
意思決定支援とは、英語でsupported decision-making、つまり「支援を得た意思決定支援」。どんなに重度の認知症の方でも絶対に意思があるということを前提にした支援の手法です。そして、判断能力が低下した人を支援するしくみ全般を「権利擁護」と呼んでいます。日本の認知症ケアは、本人の意思を無視した「代行決定(substituted decision-making)」といわれ、国連から非難されています。意思決定支援において、代行決定は最後の手段です。
スウェーデンの認知症ケアが突出して優れているわけではなく、先進国における権利擁護のスタンダードが意思決定支援なのです。ヨミドクターの記事は、日本において家族の決定が本人の決定になってしまうことへの懸念を示していて、それゆえの自己責任論を採用するという流れでした。少なくとも現行のソーシャルワーク教育を受けている人であれば、家族の意向は「関係性への配慮」として受けとめ、あくまで本人の意思を尊重しなければならないのは自明のことです。
先日、福祉関係者と話していたら「家族の意向だから仕方がない」、「本人の意に反してもリハビリさせる」という言葉を聞きました。いまだにこんな発言が出る時点で残念なのですが、さらに残念だと思うのは、意思決定支援が法制度として導入されていない点です。厚労省からさまざまな意思決定支援ガイドラインが出ています。しかし、法的に位置付けられていないことが普及していない大きな原因です。そして、このことが認知症の人の意思をどう扱うか、どう支援するかに関して、支援者間での混乱を招いているのかもしれません。
いずれにしても認知症の人に自己責任論を適用しようなんて夢にも思いませんでした。ヤレヤレといったところです。