3月13日(月)「Local Initiative Meeting Ⅲ」に行ってきました!
世田谷区の保坂展人区長が音頭をとって、「地域・自治体からボトムアップ」を合言葉に市民型の地方政治を目指し、自治体議員と市民が互いに理解を深めるための集会を開催しています。第1回が12月9日にありましたが(このHPにも第1回の報告があります)、今回で3回目です。
ちらしを見ていただければわかりますが盛りだくさんの内容。しかし、非常に有意義な議論が壇上で展開し、聞き逃すことができない、集中力を要する会でした。
ここからは私の独断と偏見による「Local Initiative Meeting Ⅲ」のレポートをお送りします。発言された方の意図や趣旨を私が勝手に解釈しての報告です。「ちがうよ!」と言われてしまう部分もあるかもしれませんがご容赦くださいませ。
まずは、岸本聡子杉並区長の単独講演、その後の岸本区長と保坂区長、阿部裕行 多摩市長、政治学者 中島岳志さんがフリーディスカッション(濃すぎる!)。
岸本区長は、ヨーロッパのミュニシパリズム(地域の市民主体の政治)の具体的な状況を解説。インフラサービスを私企業が担うのではなく、公的セクターが提供することによって地域経済の民主化が図られると指摘していました。
そして、ミュニシパリズムは、「運動⇒権力(パワー)⇒経済(⇒また運動に戻る)」という循環で展開していくと解説。
なるほど、市民運動から始まり、自治体議員として議会に飛び込み(権力を得る)、予算を巡る議論を行って、実現したい目標を地域経済に落とし込む。目標がかなったら、さらなる前進のための運動を行う・・・そのループ。これは、とても基本的な議論です。運動をするうえで、運動のみにとどまってしまうと制度の新設や改善ができないですから、きちんと市民の代表として、自治体の予算配分を決定できる立場を得ないと何も始まりません。さらに希望を実現するための地域経済のあり方も十分考えなくてはいけない。当たり前のことかもしれません。ただ、私たちはこの実践をどのくらい地域でできているでしょう。「いい取り組みだな」と思っても単なる地域活動で終わっていることって多いですよ。
保坂区長と阿部市長は、公契約条例について熱い議論を交わしていました。阿部市長は2011年に多摩市で公契約条例を制定しました。「しっかりと従業員に賃金が支払われてこそ、真の循環型社会」と話していました。私の携わる福祉の仕事においても施設の指定管理では、コストを抑えられる団体に仕事が任せられる傾向があり、疑問を抱いていました。コスト削減の名目によって、役所の仕事なのに低賃金で過重な労働になっているのはおかしいですよ。会計年度任用職員は、官製ワーキングプアと言われますが、公共部門がワーキングプアを作り出すなんて明らかに異常です。自治体は安く済ませるのではなく、適切な賃金により人間らしい環境で仕事ができる企業・団体に仕事を任せなければならないです。
政治学者の中島さんは、「かつて田中角栄さんは、確かに再配分をしましたが、それは不透明な再配分だった。それを透明化する方向に向かえばよかったのに、再配分をやめて、すべてを市場に任せるという新自由主義になった。そして、公共がなくなってしまった。地域主権主義、ミュニシパリズムを推進して新自由主義を打破して、公共を市民の手に取り戻さなくてはならない」と力説していました。私も新自由主義によって、市場に任されてしまったものをいまこそ公共に、市民の手に取り戻すときだと思いました。
同様の議論が「人新生の資本論」で有名な経済思想家 斎藤幸平さんのもとでも展開! いやーキレッキレの内容でした。
現在の資本主義は、本来、商品化しないようなものも商品化している。つまり、水道、交通機関、公園、医療、介護など公共セクターであるべき生活インフラを私企業が手中におさめている現状がある。そうなると非常に過酷な社会となってしまう。富の多寡に関わらず、すべての市民が享受すべきものなのに、貧乏な人は生活必需なサービスを利用できなくなり、格差が深まっていくばかりである。だから、商品化されているものを再び公のものにしていく必要がある。これが「コモン型社会」。商品として、市場にゆだねるのではなく、市民が主体的に参加しながら公にしたものをみんなで管理していく。
そのとおりですよ。自分に引き付けて考えても、医療介護を市場化したせいで、虐待やら低賃金労働やらの問題が起こっていることは明白です。公的部門の商品化というのは、行政責任の放棄であると思っています。なんでもかんでも市場原理に任せればいいってものではないですよ。
さて、お次は、若い世代の自治体議員と統一地方選挙候補者のフリートーク。気候危機、環境問題を中心に議論が展開しました(斎藤幸平さんも参加)。
気候変動の課題が日本では、なかなかメジャーな運動にならないことに若い登壇者の方々が頭を痛めておられました。まあ、それはそうなのです。若者は目の前にある課題がハードすぎますから。不登校、親ガチャ、格差、奨学金などほんとうに若い人はたいへんだとおぢさんは思います。目の前の問題が解決していないのに、気候変動に目を向けることもできないのでしょう。
これについて、斎藤幸平さんに意見を求めたところ、「気候変動の問題を、格差やLGBTQの問題群と接続させなくてはいけない」と目からウロコのご指摘。環境問題を単独で議論するのではなく、それがほかの課題とも密接に絡まり合っているので、運動におけるトピックの一つとして外すわけにはいかないと示す、ということ。確かに、貧困に苦しむ人々が生存を維持するためにさらに環境を破壊するという「貧困と環境破壊の悪循環」はあります。ほかのテーマとの接続というのは運動促進の可能性を秘めた必殺技だと感じました。
そして、「当事者にはなれないが、『共事者』にはなれる。『共事者』は自分が経験していない問題を想像力を働かせて、自分に引き付けて考える人」だそうです。たとえば、自分には関係ないかもしれないが、自分の孫の世代が悪影響を被るかもしれないなど自分に関係づけて問題をとらえることです。なるほど、私たちは「共事者」たらなければなりません。自分さえよければいいではなく、共事者として他者の経験を自分のこととして受けとめる思考方法が必要です。
とまあ、あっという間の2時間半でした。今回学んだことを念頭に東京の東部地域もミュニシパリズムが実現するようがんばらねば!と意欲がわいてきました。