成年後見制度への国連勧告

医療・福祉

日本は2014年に障害者権利条約を批准しました。批准した国は、条約が国内で効果を発揮しているかどうかの審査を受けなくてはいけないことになっています。そんなわけで日本も2022年8月に国連による審査を受けたのです。すでに審査結果として総括所見(勧告)が出ています。強制入院への批判や津久井やまゆり園事件の検証などさまざまな有意義な指摘がありました。そのなかで今回、成年後見制度に向けられた勧告についてみていきたいです。

ご存じの通り、成年後見制度は2000年から始まった判断能力が低下した人を法律的に守る制度です。この制度について、なかなか興味深い勧告が出ました。「『最善の利益』という言葉がイカン!」という指摘です。

以下、総括所見(勧告)の引用です。

(国連の)委員会は、以下を懸念する。

(C)2017年の障害福祉サービス等の提供に係る意志決定支援ガイドラインにおける「本人の最善の利益」という言葉の使用

利用者の利益に配慮して支援をするのが当然なのになぜこんな指摘事項が?

ここで問題となるのは「誰にとって」の最善の利益なのか、ということです。たとえば、判断能力が低下した利用者が経済的に破綻するほどのお金を自分の信仰する宗教団体に献金していたとします。後見人としてこの行為をやめさせるべきなのでしょうか。最善の利益を尊重して、献金を強制的にストップさせるべきか。他方、後見人は本人の意思を尊重して支援しなくてはならないとされています。障害者権利条約のスローガン「私たち抜きに私たちのことを決めないで」に従って、献金を容認するのか。

「献金を続けたら一時的には自己決定を尊重したことにはなるけど、経済的に破綻して健やかな生活が損なわれてしまうから人権の尊重にならないのでは」と主張する人もいるかもしれません。

しかし、私たちは、タバコを吸ったり、危険なスポーツをしたりと自らすすんで自身を危うい状況に置くことがあります。ボクシングをしている人に危険な行為なのでやめるように進言できるでしょうか。要するに、世間一般にとっての客観的な最善の利益と個人にとっての最善の利益とは相容れないことがあるわけです。

国連委員は「代行決定」に強い拒否感を示しています。支援者が本人抜きに行為の決定を代行してしまうことです。国連委員にとって、「最善の利益」は、一般的な利益を優先してしまう代行決定と親和性のある文言として懸念を示しているのです。

では、どういった別の仕方が考えられるか。それが「意思と選好の最善の解釈」です。私たちは一般的には自分に不利益と思われる自己決定を(好んで)することがあります。かつてこのことは「人には愚行権がある」といわれていました。しかし、世間的には愚行ですけど本人にとっては利益なのですから、一概に愚行とはいいきれません。「選好」(好き嫌い)を尊重するのは福祉的支援では大切なことなのです。

ただ、自死を望む人、全財産を放棄する人に対して、意思決定を尊重するかといったら、そんなことはありません。ここはソーシャルワーク支援が必要な場面です。セルフネグレクトへの支援も同様です。

結論として、「最善の利益」というワードの多用はよろしくないということです。福祉関係者がもっと「最善の利益」という語の使用に神経質になってもいいのではないかと思っています。